中国人「日本のノーベル賞受賞者が大学の卒業式のスピーチで中国のことわざを引用した」 中国人「日本人は中国文化をよく知っている」「そして否定しない」




「日本のノーベル賞受賞者が大学の卒業式のスピーチで中国のことわざを引用した」という記事が中国版InstagramのREDに掲載され、中国人のコメントがたくさん投稿されています。ご紹介します。

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[記事]
日本のノーベル賞受賞者が大学の卒業式のスピーチで中国のことわざを引用した
 
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[訳者注]
中国語の元記事では、2016年の近畿大学の卒業式での山中伸弥教授のスピーチが動画で紹介されています。以下、中国語の元記事で紹介されていた部分のテキストです。スピーチの全文を動画の後ろに貼り付けました。
 
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ということで、卒業生の皆さん、今日、皆さんに私の大好きな中国のことわざをお伝えしたいと思います。それは、「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」。略して「塞翁が馬」。こういうことわざです。
 
 
「塞翁が馬」塞というのは、お城です。中国のお城の近くの村に、「塞翁」の翁というのは「おきな」おじいさんですね。おじいさんが、いたらしいです。そのおじいさん、唯一の財産は、一頭の馬。そして、一人息子さんと住んでおられたらしいです。
 
ところがある日、その唯一の財産の馬が逃げてしまいました。すぐ、村人たちが集まってきて、おじいさんを「大変ですね」と慰めにきました。でも、おじいさんは冷静に「いやいや、これは何か良いことの始まりかもしれない」と言いました。
 
そうすると、2,3日すると、その馬が帰ってきて、しかも、その馬よりもさらに良い名馬を一緒に連れて帰ってきました。すると、村人はまたすぐ集まってきて「いやーおじいさん素晴らしい。良かったですね」とやってきました。でも、またおじいさんは「いやいや、これは何か悪いことの始まりかもしれない」と。すると、その息子さん、やってきた名馬に乗っていましたが、落っこちてしまって、足を複雑骨折してしまって、歩けなくなってしまいました。
 
また村人がやってきて「おじいさん、えらい災難ですね」とやってきました。しかし、おじいさんは「いやいや、これはなにかいいことかもしれない」と。しばらくすると、戦争が起こりました。村の若者は、ほとんど全員が死んでしまいました。でも、おじいさんの一人息子は、脚を怪我して歩けなかったので、戦争に行かずに生き残れました。
 
そういう話らしいです。村人の様に、一喜一憂するのではなくて、おじいさんの様に、こうどっしり構えよう。そういう意味だと思います。
 
(中略)
 
皆さん、近畿大学、こんだけたくさんの卒業生、OBの方、凄い力です。これから社会に出られて、いろんなことがあると思います。皆さんそれぞれに「塞翁が馬」があると思います。だから、人生は楽しいとも言えると思います。でもその時に、いいことばかりではなくて、一見大変なこともきっと起こると思います。その時は是非、この「塞翁が馬」ということわざを思い出していただいて、村人のように一喜一憂するのではなく、おじいさんのようにこうどしっと構えていただきたい。特に、一見良くない事が起こったその時こそ、「いや、これはチャンスかもしれない」と、そんな風に考えてもらいたいと思います。
 
また、このたくさんの卒業生、同窓生、このつながりというのも、もの凄い力になります。これからの長い長い人生、今まで皆さんが送られてきた人生よりも遥かに長い人生が、皆さんの目の前に待っています。これからのご活躍を心よりお祈りしております。本日は、誠におめでとうございます。


スピーチの全文を読みたい人はこちらをクリック(長いです)

近畿大学卒業生の皆さん、本日はご卒業誠におめでとうございます。また、ご両親ご家族の皆さん、本日、本当におめでとうございます。実は、私の娘もですね、つい最近大学を卒業しました。ですから、皆さん、今日お集まりのご両親、同じような気持ちでおります。本当に長年の子育てお疲れ様でございました。
 
ということで、卒業生の皆さん、今日、皆さんに私の大好きな中国のことわざをお伝えしたいと思います。それは、「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」。略して「塞翁が馬」。こういうことわざです。
 
 
「塞翁が馬」塞というのは、お城です。中国のお城の近くの村に、「塞翁」の翁というのは「おきな」おじいさんですね。おじいさんが、いたらしいです。そのおじいさん、唯一の財産は、一頭の馬。そして、一人息子さんと住んでおられたらしいです。
 
ところがある日、その唯一の財産の馬が逃げてしまいました。すぐ、村人たちが集まってきて、おじいさんを「大変ですね」と慰めにきました。でも、おじいさんは冷静に「いやいや、これは何か良いことの始まりかもしれない」と言いました。
 
そうすると、2,3日すると、その馬が帰ってきて、しかも、その馬よりもさらに良い名馬を一緒に連れて帰ってきました。すると、村人はまたすぐ集まってきて「いやーおじいさん素晴らしい。良かったですね」とやってきました。でも、またおじいさんは「いやいや、これは何か悪いことの始まりかもしれない」と。すると、その息子さん、やってきた名馬に乗っていましたが、落っこちてしまって、足を複雑骨折してしまって、歩けなくなってしまいました。
 
また村人がやってきて「おじいさん、えらい災難ですね」とやってきました。しかし、おじいさんは「いやいや、これはなにかいいことかもしれない」と。しばらくすると、戦争が起こりました。村の若者は、ほとんど全員が死んでしまいました。でも、おじいさんの一人息子は、脚を怪我して歩けなかったので、戦争に行かずに生き残れました。
 
そういう話らしいです。村人の様に、一喜一憂するのではなくて、おじいさんの様に、こうどっしり構えよう。そういう意味だと思います。
 
私が大学を卒業したのは、今から29年前です。約30年間、社会人として過ごしてきましたが、この30年、私にもたくさんの「塞翁が馬」がありました。
 
私も医学部を卒業して医者になったわけですけれども、一番喜んでくれたのは父親だったと思います。なぜなら、父親が私を医学の道に押してくれたからです。私の父は東大阪市で、小さな町工場を営んでおりました。町工場ですから、自分も一生懸命毎日作業をしていました。その時の、私がちょうど中学生くらいですけれども、その時の怪我が原因で、輸血をすることになって、その輸血が原因で、肝炎、肝臓の病気になってしまいました。どんどん病気が酷くなっていって、まあそのことが原因で、私の父は、息子である私に、経営者ではなくて、医学の道を勧めてくれたのかなと思っています。
 
そして、いよいよ医学部を卒業して、就職しました。当時はですね、自分の行き先の病院、自分では決められずに、大学の教授が決めるような仕組みでした。私が行けと言われた病院は、大阪にあるほんとに立派な、新しく建て直したばっかりの素晴らしい病院でした。ですから私は「これはラッキーだ」「こんないい病院で働けるんだ」と喜んで働き始めましたが、これが「塞翁が馬」の始まりでした。
 
喜んで働き出したんですが、待っていたのは鬼より怖いような上司の先生でした。僕はその後2年間、怒られなかった、怒鳴られなかった日は一日もありません。毎日もう、ほんとにもう、凄い目に遭いました。山中という名前ですが、山中と呼んでもらったことはありません。何て呼ばれていたかというと「ジャマナカ」。「こら、ジャマナカ、ジャマナカ」と毎日呼ばれていました。さらに、その2年の間、大好きだった父親が亡くなってしまいました。医者としての自信、毎日怒鳴られて、外科医だったんですが、手術もうまいこといかない。しかも、実の父親まで助けてあげることができなかった。ということで、医師としての自信を全く失ってしまいました。
 
どうしてこの後人生過ごして行こうかなと思ったときに、なろうと思ったのが研究者です。学生時代から研究に興味がありました。いったんは臨床医になったのですが、自分の父親のような患者さんを全く助けてあげることができませんでした。どうしたら、こういう、今の医学では治せない患者さんを助けることができるかなと考えて思いついたのが、研究者でした。
 
そこからもう一度大学院に入りなおして、研究者の道を歩み出しました。その後、アメリカにも行って、研究のトレーニングを続けました。その時はこれが天職だ。臨床医としては全然だめで逃げ出して研究者になったわけですが、研究者としては才能があるんじゃないかと思いました。アメリカでの研究が非常に順調で、「これでようやく天職を見つけた。この後はずっと研究者で頑張ろう」と思って日本に帰ってきました。
 
当然、日本でも研究者で頑張ろうと自信満々で帰ってきましたが、アメリカとですね、日本の研究環境が全然違って、日本に帰ってきたらすぐに、また自信を失ってしまいました。アメリカでうまいこといっていた研究が、日本では全くうまいこといかないんです。日本に帰ってきてやっていたのは、実験動物、ネズミですけれども、何百匹というネズミの世話をする必要があって、毎日毎日、200匹、300匹のネズミの世話ばっか。自分が研究者なのかネズミの世話係なのか分からない、そんな毎日。そういう間に、これはやはり研究者としてもだめだと、また自信を無くしてしまいました。
 
「どうしよう、このまま毎日ネズミの世話ばかりしていても、役になんか立つわけがない」その時、もう一度臨床医に戻ろうと思いました。もう一度外科医に戻って、もう一度一からやり直して、その方が世の中の役に立つと思って、本当に研究者を逃げ出して、もう一度臨床に戻る直前まで行きました。
 
でも、これ二回目ですよね。逃げ出すのが。一回目は臨床医になろうとしたんですが、逃げ出して研究者になったんです。そして、アメリカまで行って、今度は研究で頑張ろうと思ってたんですが、またちょっとうまいこといかなくなると、また逃げ出して臨床医に戻ろうと。
 
さすがに二回目になると、私もなかなか踏ん切りがつかないわけです。こんなに何べんも逃げ出していいものなのかな。どうもこう、踏ん切りがつかない。そんな時、ある日、当時住んでいた大阪市内で散歩していましたら、目の前にとってもいい感じの空き地があったんですね。僕はその時に、その土地を買おうと思いました。その土地を買って、そこに家を建てて、そして家族と一緒に住んで、それを踏ん切りにして研究者をやめて臨床医に戻ろうと思いました。
 
研究者よりも臨床の先生の方が、日本は給料が良いんですね。アメリカだとあんまり変わらないんですが。日本はやっぱり臨床の先生の方が給料もいいですから、それを踏ん切りにしてこの家を建てて、それから後は臨床医として頑張ろうと。
不動産屋に行って手付金を払って、いよいよ契約の日がやってきました。そうするとその日、いきなり当時離れて暮らしていた母親から電話がかかってきたんですね。何を言い出すかと思うと「伸弥、アンタ家を、土地を買うらしいけども、昨日の晩お父ちゃんが夢枕に立った」と。で何を言い出すのかと、こう見えても研究者なのに、何を言い出すのかなと思ったんですが、「いや、お父ちゃんが夢枕に立って、伸弥に思い留まるように言えとそういったんだ」と言うんですね。
 
僕は何を言っているんだと、もう35歳くらいの息子を捕まえて、親父が夢枕に出てきたとかそんなこと言われても、そんな無理だと思ったんですが、さすがに母親にそういわれると、なんかこう一日だけ待ってみようかなと思って、不動産屋さんに電話して、「すいません」と、「契約今日だって言ってましたが、一日だけ待ってもらえますか」と言いました。不動産屋さんは「はい、分かりました」と。ところが、その日の夕方に、その不動産屋さんから電話がありまして「山中さん、申し訳ありませんがあの土地、他の方に売れました」と。
 
それは、僕にとってはですね・・・本当にこれを踏ん切りに研究者をやめて、臨床医に戻ろうと思っていたその土地がなくなってしまって。その時は本当に母親のことを恨みましたし、また夢枕に出てきた父親にも「何ちゅうことすんねん」と思って恨みましたが、そのことが結局は研究を辞めずに踏み留まることになって、その6年後ぐらいに、iPS細胞という技術に出会うことができました。
 
そして、2012年にはノーベル生理学・医学賞を受賞いたしました。でも、もちろんノーベル賞をもらったときはうれしかったですが、これも「塞翁が馬」です。一見、いいことですよね。こういう賞をもらうというのは。しかし、その賞をもらったことによって、大変なこともいろいろありました。
 
この2012年から3年間の間で、私は、あんまりやりたくもない謝罪会見というのを2回もやっているんです。それもノーベル賞でいろいろ注目を浴びるようになった結果です。ですから、ノーベル賞をもらったことも、やっぱり「塞翁が馬」。でも、ノーベル賞をもらってもちろんいいこともたくさんあります。今日、この近畿大学の卒業式に呼んでいただいたのも、ノーベル賞のおかげだと思っています。
 
皆さん、近畿大学、こんだけたくさんの卒業生、OBの方、凄い力です。これから社会に出られて、いろんなことがあると思います。皆さんそれぞれに「塞翁が馬」があると思います。だから、人生は楽しいとも言えると思います。でもその時に、いいことばかりではなくて、一見大変なこともきっと起こると思います。その時は是非、この「塞翁が馬」ということわざを思い出していただいて、村人のように一喜一憂するのではなく、おじいさんのようにこうどしっと構えていただきたい。特に、一見良くない事が起こったその時こそ、「いや、これはチャンスかもしれない」と、そんな風に考えてもらいたいと思います。
 
また、このたくさんの卒業生、同窓生、このつながりというのも、もの凄い力になります。これからの長い長い人生、今まで皆さんが送られてきた人生よりも遥かに長い人生が、皆さんの目の前に待っています。これからのご活躍を心よりお祈りしております。本日は、誠におめでとうございます。

 
スピーチ引用元: https://kindaipicks.com/article/000441
中国語記事・コメント引用元: https://www.xiaohongshu.com/discovery/item/65e6f26b0000000003035e5c
 
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■ 湖南さん
 
これは本当にその通り。得るものがあれば失うものもある。富を得れば貧困を失う [375 Good]
 
 
 
■ ニュージーランド在住さん
 
「塞翁の馬」の出典は西漢の淮南子。この言葉は「あらゆる事象には二面性があり、主観的な条件の下で相互に転化することができる」という、中国の伝統的な思考法を示している。それよりも私は老子の一節「禍兮福之所倚、福兮祸之所伏」の考え方の方が気に入っている。同様に、論語の「子貢贖人」の話も似たような思考がある。中国の古典文学は玉石混合ではあるが、その中の玉をどう学ぶかは個人次第 [163 Good]
 
 
(訳者注:禍兮福之所倚、福兮祸之所伏・・・禍は福の倚る所、福は禍の伏す所なり。禍(災い)は福の原因となり、福は禍の原因となる、ということで、禍福が互いに因果的に生じることを意味します)
 
(訳者注:子貢贖人・・・魯の国には、他国で奴隷とされた自国民を見つけた場合、身代金を支払ってその者を魯の国まで連れ戻せば、国が身代金を補てんするという法律がありました。ある日、孔子の弟子の子貢が奴隷を見つけ、身代金を払って魯の国まで連れ戻しました。国は子貢に身代金の補てんを申し出ましたが、お金持ちの子貢はこれを断りました。孔子はこのことについて「補てんを受け取れ。そうしないと他の人が奴隷を買い戻すことを躊躇するようになる」といって叱りました、という逸話です。既存の見方だけではなく、より広い視野で考えよ、ということです)
 
 
 
■ シンガポールさん
 
古代中国の考え方は非常に発展していて、現代でも参照できる点がとても多い。ただ、残念ながら現代の中国がそれらをあまり大事にしていない一方、日本はとても大事にしてくれている。日本の古代建築様式は宋代のもので、欧米人が日本の古代建築を崇拝しているのも少し嬉しい [77 Good]
 
 
   ■ アメリカ在住さん
 
   宋代ではなく唐代な [43 Good]
 
 
 
■ 遼寧さん
 
小日本は中国文化を本当によく理解している [25 Good]
 
 
   ■ 広東さん
 
   日本人は中国人よりも中国文化を理解していると思う。そしてそれはけっこう恐ろしいことだと思う [43 Good]
 
 
 
■ 広州さん
 
日本人に中国の古典成語の背景を教わることになるとは [5 Good]
 
 
   ■ 上海さん
 
   いやいやいや、この話は普通に小学校で習うだろ [44 Good]
 
 
 
■ 江蘇さん
 
日本は中国のものを中国のものと認めていて本当に素晴らしい。彼らとは違う [9 Good]
 
 
   ■ 広東さん
 
   日本人は日本文化に誇りを持っているからこそ中国のものを中国と認めることができるのだろう。日本人は漢字の起源を主張したりしない。彼らとは違う [10 Good]
 
 
 
■ 北京さん
 
ちゃんと「中国のことわざ」と紹介してくれてよかった
 
 
   ■ 上海さん
 
   日本が中国文化を否定したことは無い [25 Good]
 
 
 
■ 雲南さん
 
日本の古代中国の研究はかなり進んでいる。本気で古代中国の研究をしようとしたら、まず日本語を勉強するべきという話もあるほどだ [5 Good]
 
 
   ■ 広東さん
 
   え?どういうこと?
 
 
   ■ 天津さん
 
   古代中国に関する日本語の文献が豊富なんだよ
 
 
 
■ 北京さん
 
この故事から学ぶもう一つのことは、この村人たちのように自分に関係のないことに首を突っ込んであれこれ詮索しても何の意味もないということ
 
 
 
■ 重慶さん
 
現代中国が伝承しきれなかったことを日本が伝承してくれている
 
 
 
■ 安徽さん
 
物事はどうなるか分からない。一喜一憂せずにどっしりと構えてよう。そうすればこの人みたいにノーベル賞をもらえるかもね!
 
 
 

コメント

  1. 互いにリスペクトできる事は大事。

    ” 彼ら “とされる者は、
    自信の無さなのか、虚勢を張る。
    それこそが、恥だとわかっていない。

    • ” 彼ら “は自信だけは溢れんばかりに持ち合わせてるだろう
      ないのは本来ならそれを生み出し、支え、裏付けるものであるはずの中身の方だ

      • 三国志や水滸伝も読んでるから兵法とかことわざもよく知ってるよ。漢文も学ぶしな。

    • 麻婆豆腐くらいは認める

      • 餃子と炒飯も認めてあげて!

        • ワンタンを忘れるなよ

  2. 彼らって誰よ?

    • 日本もいつそうなるか分からないけれど、国土という器は同じでも中身が入れ替わってるだろう。
      日本は昔の中国から良いところを学んだのは確か、そして悪いところは排除したし、近代文明の単語の多くは日本から与えたりした。
      そして漢方についても今の中共より研究は進んでると聞く。

      • 「中国」ではないよな

      • 彼らって韓国人以外にいないし。

    • 口の端に載せるも穢らわしい程の悍ましい国の奴らだろ?敢えて言わないけど。文句言う人がいるからね。

  3. そもそも古代中華文明と現在の中国は住んでいる土地が同じなだけで中国の諺でもないし現代中国語でも無いだろ
    古代中華文明は尊敬も出来るし勉強にもなるがそれを破壊した中国は尊敬も出来ないし侮蔑対象

  4. スレ中一度も出てないのに日中ともに通じてしまう「彼ら」

    • 国名すらシャベツニダーしてit扱いされてるのはアメリカでの話だったかな

  5. 江蘇さん

    日本は中国のものを中国のものと認めていて本当に素晴らしい。彼らとは違う 

    ほんコレwww
    中国も日本のものは日本のものと認めていて本当に素晴らしいと思いますよ。彼らとは違うwww

  6. 彼らって誰のこと

    • 中国の隣国で日本の隣国の国民の一部の事なんじゃないかな?

  7. 中国は広いので何面性もある
    広い目で見た時インドと近い面が多くて驚くね

  8. ニュージーランド在住の言う老子の一節は「禍福は糾える縄の如し」として日本でも普通に使われているよね

    • 今風に言うなら「DNAの二重螺旋構造の如し」かな?

  9. あれらの認識は日中で共通してるんだw

  10. 楽観し過ぎず悲観しすぎずという在りようは堅実だと思うしこの故事は好きなんだけどさ、自分が村人だったら「ウワ逆張りじいさん面倒くさっ」てイラついて本質に気づける気がしない。

    もうひとつ学ぶとしたら詮索云々よりも、
    他人の気持ちを決めつけてばかりいると新たな視点に気づけないとかかな。
    その憶測が励ましや感謝に繋がるわけで悪いことじゃないとは思うけど。

    • あー確かに。
      故事としては素直に読めるけど、身近に出てきたらウザいと思ってしまいそうw

    • このことわざって”常に逆張りを続けていれば預言者になれる(かも)”って意味だと思ってた。

  11. 隋、唐、宋あたりまでは尊敬に値する優れた文化があった
    その後は徐々に堕落して革命ですべて終わった感じだねえ

    • 宋の頃には、もう落ちぶれ始めていたので見限られていた。
      だから遣宋使が存在しなかったのだ。

      • 日本語の音読みに唐音、呉音、漢音とかあるけど栄音って無いな
        たしかにー

  12. 中国は政府が変わるたびに旧時代の歴史・文化・記録をことごとく捨てようとしてきたからな
    今代の中国人は文革も天安門も習えないらしいぞ

  13. 現代中共国家に何か関係あるんだっけ?

  14. ありがとう中共。君らが居なければ日本は敗戦国としてジリ貧だったかもしれない。
    対外的には欧米に敵意を向けて朝鮮戦争を起こし。
    内政的には文革で馬鹿だらけにして5000年の哲学を潰した。
    人口だけの、守銭奴と奴隷の国に成り下がってくれたからねw

    • あと、アヘンの誘惑の危険性も気付かせてくれたの感謝やでw

  15. 中国の文献も学者も共産党が燃やしてしまったシナ。

  16. 「拳児」で知った

  17. どんなに立派な文化や歴史があっても、共産党が全てを腐らせる

  18. え、彼らって漢字の起源も主張してんの?
    露骨に「漢」って入ってるのに(最初は殷だが)
    韓字と書いて「ハンジ」だ!とか…?

    • 漢字と書いて「ハンジャ(ハンチャ)」

    • 彼らはボルデモートみたいな扱いになってるな

    • 漢字の起源「も」主張してる
      他にも麻雀の起源や、端午の節句の起源や、鍼治療の起源、床暖房の起源、ハクサイの起源も主張してる
      (曰くキムチは韓国の発祥ニダ!キムチに使われてるハクサイも韓国が起源ニダ!中国にはハクサイが無かったからキムチが誕生しなかったニダ!)

      特に意味が分からないのは「古代中国文明は韓国が起源ニダ!」というやつ
      ヒストリーチャンネル韓国版では「韓国人が黄河文明を作り、中国人にゆずってやった」という番組を堂々と放送してる

  19. ジンカンバンジージャンプは名曲

  20. 昔は忠義国も素晴らしい人がいたんですよね。けど今の中国にはそれに見合った人がいなくなりましたね!
    今の中国はくまのプーさんが一番偉いんでしょ。

  21. 中国人は、自分たちの文化の伝播した地域を自分たちのテリトリーと思い込む悪癖がある。
    彼らが海外に親しさを感じる時は、そこに「中華がある」と思ったときだけ。
    それが中華思想であり現在の拡張主義の根本にあるものだ。

    • 日本がほぼ原始時代に毛の生えた程度の頃から古代中国の優れた思想、文化を取り入れるため中国に使者を送り、優れた思想や文化を持ち帰り、学び、研究し、魔改造して独自の系統の文化を作り出した
      「彼ら」は中国に頭を押さえつけられるのは地政学的に仕方なかったとはいえ、それに対して反抗しなかった
      だから独自のものがなく、他国の優れた文化は全て自分たちのものだったものが奪われたと妄想することで自我を保つことしか出来ない哀れな国である

    • それは欧米人も同じ
      例えば、アメリカ人は「日本には何をやってもいい」と思ってる
      フランス人は「かつてベトナムはフランスの植民地だったから、独立させてやった今もベトナムはフランスの飛地」って思ってる

      • 似てるようだけど、やはり中国とは違う
        欧米諸国は、日本の文化的独自性を理解してるけど、中国はどうだろう?
        「中国の文化が残ってるからエラい」と彼らは言ってる。これは「残ってなかったら評価しない」と逆に言ってるんだ
        中国のは、天朝思想の気味悪さがあるよ

    • 鳥肌立ったんだけど

    • 日本人の中にも「日本のほうが中国文化を残している」と誇ったりする。しかしそういった主張は「どちらがより中国か」という中華文明内での論争になってしまい、中国の領域を拡張することにしかならない。中華思想の気味悪さだ。

      • 中国の佚書が日本で発見とか割と聞く話。
        「昔のものを大切に継承してきた」という事自体が日本の文化だと思う。

        対して中国は全とっかえの文化。王朝が変わるたび過去のものを捨ててきた中国という国の生存戦略なのだと思う。現代でもすでに現金決済が駆逐されつつあるらしい。
        日本では現金がなくなることはあり得ない。災害の多い日本では、急激な変化をこばみリスク分散させる事こそが生き残る術。

        どちらが正しいということではない。
        状況によってそれぞれ有利な点と不利な点が出てくるというだけ。
        まさに塞翁が馬。

  22. >日本の古代中国の研究はかなり進んでいる。本気で古代中国の研究をしようとしたら、まず日本語を勉強するべきという話もあるほどだ [5 Good]

    >   古代中国に関する日本語の文献が豊富なんだよ

    中国に関する中国語(大戦以前)の文献も中国より豊富なんだよね。あんたら燃やしちゃったからねww
    あと帝政ロシアの文献なんかもロシアより多いかもww

    • 建築様式もそうだ。

  23. 現代中国人はモンゴル帝国を目指している

  24. 中国は高度な文明と強大な軍事力をもって戦闘民族のモンゴルやペルシャ、果てはヨーロッパとも戦ったし日本とも何度も殴り合った
    日本はアジアの弱小国から持ち前の勤勉さと魔改造力でロシアを殴り倒し中国を殴り倒し東南アジアからヨーロッパ勢力を殴り倒し、そしてアメリカに殴り倒された
    だから日中は仲はめちゃくちゃ悪くともお互いを強国と認めあってるのだ
    仲はめちゃくちゃ悪いけどな
    だから自分たちに自信があるからこそ相手のことも認めることが出来る
    かの国にはそんな気概も歴史もない
    だから起源を主張して虚勢を張ることしか出来ないのだ

    • 常に強い側についてネズミ男するしかできなかったからな。
      まともな喧嘩をしたこともないヘタレってやつよ。

  25. 〈日本の古代建築様式は宋代のもので、欧米人が日本の古代建築を崇拝しているのも少し嬉しい〉
    ↑このコメントは地味にヤバくね?人のふんどしで相撲を取るようなメンタリティーを感じる。古代建築様式は中国の影響を受けただろうけど、中国の職人が建てたわけではなく、日本の風土で蓄積された経験や智慧を活かして建築技術を何度もブラッシュアップしながら、京都の人達が頑張って建物を保存して現代に残したのに、それを関係のない現代中国人の慰めやつまらない虚栄心を満たすものに利用しないで欲しいね。

  26. 日本と違って多くの国は王朝の入れ替わりとともに民族が変わっている。
    そうなったら困るが、日本の奈良や京都、そして刀剣などの刀鍛冶の技術、精緻な版画
    優美な着物の染め縫い、多用な食文化、文学、芸能、慣習・・その他諸々を
    あと何百年か後に皇室が無くなって(いわゆるの付く新生)アイヌとか、大陸の出っ張り系の民族が主権を握った時、それらの伝統文化は私達の作り上げたものと主張してるに等しい。
    そして今現在中国が過去の思想、文学や漢字などを誇ってるのは、それに等しい。

  27. >ちゃんと「中国のことわざ」と紹介してくれてよかった

    『塞翁が馬』は、ストーリーからして「日本史のものじゃない」んだよな。
    近代以前の日本で「庶民が兵役に駆り出される」というのは、律令制の頃の衛士・防人あたりまでさかのぼらないとないわけだが、しかしその頃、馬を所有してる庶民なんてものは皆無に等しいからね。
    農民層でも馬を使いはじめるのは鎌倉前期ぐらいからになるが、この頃の「兵士=武人」はもう、親がそうであるか、あるいは事情はどうあれ自発的になろうとするかのどちらかで、庶民が義務として課されるものではなくなっていた。

  28. >日本は中国のものを中国のものと認めていて本当に素晴らしい。彼らとは違う

    お前らともな

  29. 中に入れば同化され隣だと芝を青く見ちゃう海を隔てた絶妙な距離がええのんか

    • 日本海がそれこそ絶妙に「危険は多いけど行き来はできる、ただし軍隊を送るには厳しい」なんて塩梅の海なのがね
      英仏間の海みたいなのだとフィルターになってくれねえからな…

  30. このように、日本人と中国人は差別主義者なのであるニ

  31. 闇で中国も変われよって意味やろ

  32. 山中先生は臨床医としてダメだったと自分のことを言ってた。医者としてダメだったから研究でノーベル賞とれてると思うと、この言葉もわかる。何が幸いになるかその時ではわからんことが。

    • でもどうだろう?ほとんどの受賞者は賞を目標に研究してきたわけじゃないだろ?
      自分の研究が成功・完成され、多くの人に認められた事実の方が価値があって、賞なんてオマケだと思っているよ。
      もし彼が「多くの人を救いたい」という抱負があって臨床医を目指していたのなら、プランBで研究者になったことが果たして”幸い”と呼べるのかな?
      真相は本人にしか分からないけどね。

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