
「日本統治時代に中国に建てられた病院が本当に美しい」という記事が中国版Instagramの小紅書に掲載され、中国人のコメントがたくさん投稿されています。ご紹介します。
Sponsored Link
[記事]
1926年に日本統治時代の大連に建てられた旧満鉄病院が本当に美しい。
当時はアジアで最大かつ最先端の病院で、今でも現役。











[訳者注]
1905年から終戦まで、遼寧省大連は関東州として日本の領土(租借地)でした。関東州租借後に設立された南満州鉄道(満鉄)が本社のある大連に、1926年に東洋一の大きさを誇る満鉄病院を建設しました。その後終戦とともに国家鉄路局の所有となり、長らく鉄路病院と呼ばれ続けましたが、2005年11月に大連大学付属中山病院となりました。現在でも大連の医療の中心となる総合病院として運営されています。
記事引用元: https://www.xiaohongshu.com/explore/68b539c7000000001d0150ee
※ 5個以上のGoodがあるコメントについて、Goodの数を載せています
※ 下記コメントで言及されている事柄の事実確認は行っておりません。真偽の判断はみなさまでお願いします
※ 当サイトのコメントポリシーと、「バカと言う人がバカ」の精神と中国人のスルー技術をもってコメントを書き込みましょう
Sponsored Link
■ 大連さん
鉄路病院は本当に美しく、大連を代表する建物。遠くから友達が来たら、まずはここに連れて行く [27 Good]
■ 別の大連さん
鉄路病院は日本にも似たような建物があって、しかも観光地になってる。日本旅行でそこに行ったとき、そこには鉄路病院があって、ここは一体どこだろう、と不思議な気持ちになった [9 Good]
■ 大連さん
鉄路病院で最もすごいのは地下通路を通って全ての建物に行けること。これは本当に素晴らしい [11 Good]
■ 浙江さん
昔はセンスがあった。今はダメ [15 Good]
■ 在日中国さん
作ったのは日本人 [18 Good]
■ アメリカ在住さん
昔の中国人はこんな建物を建築できたのに、なんで今の中国人はあんな建物しか作れないのだろう [11 Good]
■ 北京さん
鞍山 [8 Good]

■ 河北さん
長春でも似たようなマンホールの蓋や、昭和時代の電柱を見たことがある。そして、マンホールや電柱のそばを通り過ぎたであろう、各時代の普通の人々について考える。その人たちも時代の中で浮き沈みを経験し、どんな悲しみや喜びを抱えてきたのだろう [15 Good]
(訳者注:鞍山市は遼寧省にある鉄鋼の街です。旧満州だった場所で、満州時代に操業を開始した昭和製鉄所があります。昭和製鉄所は終戦時に操業を停止しますが、新中国成立後に操業を再開し、現在では世界有数の鉄鋼会社 鞍山鋼鉄集団(Ansteel)となっています)
■ 遼寧さん
マンホールのマークは満州国?
■ 大連さん
満鉄だね [8 Good]
■ 北京さん
大連は日本直轄だったから満州国ではなく日本そのものだった [5 Good]
(訳者注:旧満鉄のロゴです。遼寧省の大部分は満州国として日本統治時代を過ごしますが、大連だけは満州国成立前から関東州として日本直轄地でした)

■ 大連さん
大連の中で最も美しい病院 [7 Good]
■ 大連さん
鉄路病院、廊下がかなり広かったと記憶している
■ 別の大連さん
廊下は広いけど部屋は狭い。最近の建物とは逆だね
■ 大連さん
私ここで生まれた
■ 浙江さん
私も!
■ 江蘇さん
とても美しい建物なんだけど、不必要に大きな文字が残念
■ 遼寧さん
色が真っ赤ではないだけマシ
■ 天津さん
子供の頃ここの近くに住んでて、熱が出た時にお母さんがここに連れて行ってくれたからよく覚えてる
■ 大連さん
私はここで生まれて、子供もここで生まれて、30年ずっとお世話になっている病院。外観がきれいなだけでなく、いい病院だよ。これからもよろしくお願いします!

