「小田原後、豊臣秀吉は徳川家康をどうするのが正解だった?」という記事が中国版Instagramの小紅書に掲載され、中国人のコメントがたくさん投稿されています。ご紹介します。
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[記事]
小田原の戦いの後、徳川家康をどこに転封するのが最適解だったのか
家康を関東に送ったのは最適解だった。本当に問題だったのは福島正則の扱いだ。
家康は当時、秀吉に唯一勝った勢力というだけでなく、格の面でも誰も及ばなかった。織田信長の同盟者だ。信長の遺産を継承した秀吉の陣営からすれば、創業期からいる大先輩のような存在だった。
だからあらゆる面で見ても、家康は文句なしの「天下の副将軍」だった。
しかも当時の日本の交通事情では、全国を一元的に統治するのは無理がある。関東に臣従する大勢力を一つ置くのは、ほぼ選択の余地がないことだった。少なくとも当時の人々の感覚ではそうだ。
その人選は徳川家康しかいない。
唯一この地位に近づけるのは毛利輝元。でも輝元の本拠地は関東から遠すぎて、関東行きを承諾するはずがない。
関東に行く気があった上杉景勝はというと、そもそもその資格がない。上杉家は勢力が弱すぎたし、しかも関東管領の大義名分を自分で潰してしまった(謙信と北条の同盟で完全に民心を失い、さらに景勝は家督争いの際に前任の関東管領を殺してしまった)。
だから家康の関東転封という処置自体には問題がない。
問題は豊臣家側の話だ。
もともとの配置には問題がなかった。大坂と関東の間に、豊臣秀長と豊臣秀次という二つの大勢力を置いていた。この二大勢力が真ん中で睨みを利かせていれば、周囲の小大名たちは自然と豊臣家についていく。
ところが、秀次と秀長が相次いで亡くなった後、二人の領地はバラバラに砕けてしまった(細分化されたり、横取りされたりした)。
その結果、秀頼の大坂と家康の関東の間には、20万石以下の小勢力ばかりが並ぶことになった。
家康200万石の勢力が一声吠えれば、他の連中がみんな家康に靡くに決まっている。
この状況で小勢力同士が団結して家康に対抗することなんて期待できない。小勢力は各個撃破されるだけ。誰も先頭に立とうとはしない。
だから、秀次が処分された後、秀頼と家康の間の位置には、100万石以上の大勢力を一つ据えなければならなかった。
100万石というのはちょうどいい数字で、周囲の勢力と連合すれば家康と正面からぶつかれるが、単独で秀頼に反旗を翻すのは難しい(いざとなれば前田家が秀頼側と一緒に挟撃できる)。
しかもこの人物は豊臣家の身内でなければならない。外様ではダメだ。
よく調べてみると、この人物は福島正則しかいない。
実際の歴史でも、西軍を崩壊させたのは福島正則が先頭に立ったからだと言っても過言ではない。
福島正則は本来、秀次の代わりとして急速に100万石クラスまで引き上げられ、東西の交通の要衝に立ちはだかるべきだった。正則さえ持ちこたえれば、秀頼は無事だし、前田家も寝返らない。
秀次の旧領がそこに構えている限り、家康は前田利長への討伐なんて発動できない。もし開戦したら、両側から挟み撃ちにされて一網打尽だ。
しかも武断派の中で、福島正則は秀吉の親戚であり、忠誠を尽くす理由が他の者より大きい。
関ヶ原の戦いで西軍があれほど速く崩壊した最大の原因は、日本の中央部に防御の空白があったことだ。
中立の小勢力ばかりで、みんな風見鶏。西軍が慌てて東に救援に向かった結果、惨敗。そのまま東軍は破竹の勢いで進撃した。石田三成の佐和山城が落ちた時点で、大坂はもう風前の灯だった。
織田秀信の能力がなかったと責めるのは酷だ。そもそも戦争の動員をする時間すらなかった。あれだけ小さな勢力では、平時に使える人間なんてほんの僅かしかいない。

記事引用元: https://www.xiaohongshu.com/explore/69699761000000000d008c82
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■ 安徽さん
無駄。6歳の子どもに誰が反旗を翻さないというのか。秀次を殺したことこそが最大の問題 [36 Good]
■ 山東さん
秀長か秀次、どちらか一人でも生きていればよかった [17 Good]
■ シンガポールさん
間違いは秀頼を生んだこと [8 Good]
■ 江西さん
そもそも茶々を娶ったのが問題。寝るだけ寝て、種まで残してしまった [8 Good]
■ 四川さん
最善手は小牧・長久手の戦いを最後まで戦い抜くこと。途中で止めてしまったから、家康が不満に思う措置を取れなかった [9 Good]
■ 北京さん
それは無理。中部地方で大地震が起きたからな [14 Good]
■ 浙江さん
徳川家康を北海道に転封すれば問題なかった。たとえホッキョクグマまで徴兵できたとしても、日本を統一することはできない [46 Good]
■ 天津さん
文字通りの征夷大将軍 [42 Good]
■ 江蘇さん
榎本武揚:北海道から反乱を起こさないと思うのか?なるほどな [5 Good]
■ 湖北さん
関東平野以外の遠方への転封を徳川は受け入れない。しかも徳川は朝鮮出兵にあまり関心がなく、北九州は加藤清正や小西行長のような戦功はあるが領地が限られ、領土拡大を急ぐ親藩大名に任せるしかない。仮に徳川を北九州に転封できても、毛利がすぐに取り込まれる。関ヶ原の時点で毛利はすでに日和見だった。四国に転封すれば、海を渡ってすぐに大阪を攻撃できる。肝心なのは濃尾平野に強力な二代目の嫡流親藩を置く必要があるが、見渡しても該当者がいない [20 Good]
■ 陝西さん
三河にそのまま置いておけばいい。三河は地理的に極めて不利で、四方を封じられている。西は伊勢海峡、東は駿遠回廊と伊豆半島、南は海、北は濃尾平野。両端を塞げば発展できない
■ 雲南さん
そして自分の直臣を関東に封じて、いざというときに分断されるわけか [7 Good]
■ 広東さん
日本の戦国時代の歴史を詳しく知りたい。何を読めばいい?
■ 広州さん
bilibiliの配信者「酒井雅楽助」の動画を見るといい。日本戦国史と万暦朝鮮戦争の研究では最も信頼できるクリエイター [7 Good]
■ 上海さん
最善の方法は家康の領地を分散させること。九州に一つ、四国に一つ、関東に一つ・・・。室町時代の守護のように領地があちこちに散らばっていれば統合できず、結集力が生まれない
■ 吉林さん
家康は勝った上での和睦であって降伏ではない。もし秀吉にそれだけの力があれば、転封などする必要はなく、直接石高を削ればいい [16 Good]
■ 上海さん
寧波に転封すればいい。来た瞬間に明朝にやられる [8 Good]
■ 河南さん
寧波は秀吉自身が行きたかった場所 [5 Good]
■ 広東さん
秀次を殺したのは完全に秀吉の自滅行為。だから家康に御家断絶させられても全く冤罪ではない [10 Good]
■ 上海さん
朝鮮でしょ [8 Good]
■ 在日中国さん
そう、私もそう思った。朝鮮出兵に徳川を行かせればいい。行けば勝っても負けても本土への脅威はなくなる。行かなければそれを口実に処分できる [16 Good]
■ ニュージーランド在住さん
声はかけたが、徳川は「領地に着いたばかりで荒れ地だらけ、まだ開墾中で人も力もない」と返した。実際に秀吉が与えた土地は本当にひどかったから秀吉も何も言えなかった。徳川はこうやってじっと耐えて力を蓄えた [6 Good]
■ 江蘇さん
秀吉の家康への対応は間違っていない。主な間違いは後継者問題で混乱を招き、内部が崩壊したこと。家康は強烈に運がよかったな

