「佐々木小次郎について1点わからないことがある」という中国人のスレ主さんの掲示板を見つけました。ご紹介します。

■ スレ主さん
佐々木小次郎について一個わからないことがある。
彼は「物干し竿」と呼ばれるような野太刀を持っていた。彼の身長に対して刀が長すぎて腰に差すことができず、彼方を背負って歩いていたということだ。
彼の野太刀の長さは3尺強、1メートルくらいであったはずだ。1メートルの刀を腰に差して歩けないって、どれだけチビだったんだろう。
俺の身長は160。俺でも1.2メートルくらいの刀を腰に差して歩けそうだ。佐々木小次郎は野太刀を腰に差して歩けないほどチビだったの?もしくは別の理由で刀を背負って歩いてたの?
引用元: http://tieba.baidu.com/p/3477187288
※ この掲示板は日本に興味がある人が集まる場所にあるので、発言が少々偏ってるかもしれません。
※ 下記コメントで言及されている事柄の事実確認は行っておりません。真偽の判断はみなさまでお願いします
■ 1楼さん
腰に差すことはできただろうけど、バランスが悪くて歩きにくかったんじゃない?
■ 1-1楼さん
1楼さんの意見に賛成。おれは身長173だけど、俺でも1メートルの刀を差して歩くのは厳しそう
■ スレ主さん
そうか?俺は身長160だけど1.2メートルの刀くらい大丈夫そうだけどな
■ 2楼さん
1尺の長さは時代によって変わるぞ。あのころの3尺と言えば130~150センチだったはずだ
■ スレ主さん
いや、そんなに長くはない。明や清の時代の1尺は31センチだった。現在は33センチだ。仮に長い33センチを当てはめたとしても、3尺は1メートル程度だよ
(訳者注: 1尺の長さは国・時代で異なります。現在の1尺は日本では30.3センチ、中国では33.3センチです。中国の1尺は日本の1尺1寸にあたります)
■ 2楼さん
腰に差すことは可能だったけど抜けなかったんじゃないの?
■ スレ主さん
いや、抜ける。俺でも腰に差した1.2メートルの刀を抜けた
■ 2楼さん
スレ主さん、ひょっとして日本刀好き?
■ スレ主さん
おぅ
■ 3楼さん
昔の日本人は背が小さかったんだぞ。だから「倭」なんだ。でも現在では中国より日本の方が平均身長高いけどな
■ 4楼さん
戦国時代の日本人男子の平均身長は154センチらしいぞ。佐々木小次郎の刀、実は4尺あったんじゃないのか?
■ スレ主さん
いや、間違いなく3尺強だ。「二天記」にそう書いてある
■ 4楼さん
そういえば当時の日本人の平均身長ってちょんまげも含めた数字なのかな。もしそうだとしたら実際の平均身長は10センチ引いて144センチということになる。この身長だと1メートルの刀を腰に差すのは厳しいだろ
■ 5楼さん
長くて抜きずらかったんじゃない?
■ スレ主さん
いや、抜ける。試してみた。160の俺でも1.2メートルの刀は余裕で抜ける
■ 5楼さん
抜くことが可能なのと抜きやすいのでは大分違うぞ。荊軻と秦の始皇帝の例もある
(訳者注: 荊軻は中国戦国時代末期の刺客です。秦の始皇帝の暗殺に失敗し、その場で殺されました。荊軻に襲われた秦の始皇帝は自身の腰の剣を抜こうとしましたが、鞘に引っかかってうまく抜けない状態となりました。その後剣を背負う形にするとやっと抜け、荊軻を殺すことに成功しました)
■ スレ主さん
秦の始皇帝が剣を抜けなかったのは鳩胸だったからじゃなかったっけ?
■ 6楼さん
佐々木小次郎って船のオールで宮本武蔵と戦ったんじゃないの?
■ スレ主さん
同志よ、しっかりしてくれ。逆だ
■ 7楼さん
俺は真田幸村が好きだ
■ スレ主さん
へー
■ 8楼さん
長い刀を腰に差すことも抜くことも可能だったかもしれないけど、あれを腰に差して街を歩くことを考えるとかなり厄介だぞ。人にあたるのはまだマシだが、他人の刀にあたると最悪だ。刀は武士の魂だから「あ、ごめん」では済まされない。その場で無意味な決闘が始まりかねない
■ スレ主さん
確かに。7楼さんの言う通りかもしれないな。あんなのを差して居酒屋とかに行くのはかなり厳しそうだ

52 comments
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まさか「鞘当て」を知っている中国人がいるとは思わなかった。
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おじいちゃんに勝っただけで小説で美化される武蔵さん
現在は少年チャンピオンで活躍中
実際は柳龍拳の試合みたいなもんだろ
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史記の刺客列伝は面白かった。特に荊可伝は漢文なのに臨場感が感じられたな。
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普通の野太刀と同じ長さだったら物干し竿なんて名前つけないだろ
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林崎系の居合を見ればわかるけど、3尺3寸の刀ってかなり長く見える
3尺3寸の刀なら柄も1尺程度はあるだろうから、全長が130cm程度にはなる
それくらい長ければ腰に指すより背負う方が楽な気がする
狭い場所でも動きやすいし
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鞘から抜くと伸びるんじゃね?
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小次郎と言えば、数々の錦絵に近江源氏佐々木家(六角氏・京極氏)の
家紋である四つ目結が羽織の背中にデカデカと書いてあるのが多いけど、
本当に近江源氏の系統なんだろうか?ちなみに尼子も京極の代官だから
四つ目結というのは知っているが。
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普通の日本刀ですらけっこう重いのに、あんな長くてより重い物、腰の片側に下げたくないっつうの
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腰骨がズレて腰痛持ちになりそうw
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所詮、創作されたキャラクターだからな
長い刀を背負ってたということにしてキャラを際立たせてるんだろう
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中国人の平均は日本人よりは小さいから日本人に無理なものは中国人にも難しいと考えるべきだな。
>> ■ スレ主さん 確かに。7楼さんの言う通りかもしれないな。あんなのを差して居酒屋とかに行くのはかなり厳しそうだ
管理人さん、話の流れ的にこれはたぶん 8楼 への編集ミスかな?
※2
偉人伝とか宗教の美談なんて大抵ステマと脚色というか創作だからなぁ。
母方が宗教はまってて真面目に史実大好きになった俺が原文まで読みに行ってあまりの脚色の多さに逆に宗教嫌いになった俺が通りますよ。そして母のはまってた組織は宗教界隈では野心が少ない分まだマシという残念加減。
武蔵も本人の談ってだけで別に他の組織の記録の裏づけが否定してる話もちらほらあるからねぇ。
ただいいこと書いてる本は残して評価されてる。結局生き残って成功したもんがちですよって結論さえ知ってりゃいいんじゃないかなぁ。
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伊達政宗が159cm
本人の遺骨からの測定
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149㎝と159㎝説の二つあるけど
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佐々木小次郎って名前そののもが演劇の舞台でつけた架空の名前で、史実じゃあ単に「巌流の使い手」としか記されてないくらいどうでもいい勝負だったらしいぞ。
小次郎の細かいことはファンタジー設定なんだから気にすんなよ、ってことだ。
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鞘がぶつかったらケンカになるし
つうかあんまり長いと当時の法に引っ掛かると思うんだがそこんとこどうなんだろ
たしか長巻きの個人所有禁止されてたはず
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腰に差したら重さで袴がずり落ちそう
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背負い刀を抜いたり収めたりする時は、刀全体を肩に担ぐような格好になるときいた。
だから、運悪くその武士の真後ろにいると、刀の鞘でアッパーカットをくらう。
TVの時代劇みたいに、あのままの恰好で、スラリと刀を鞘から抜いたり収めたりは不可能。
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そもそも下の名前以外定かではない人だぞ……
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愚地独歩です(ドヤァ)→斬る価値も無いパンチはワロタ
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このスレ主がめんどくさいやつなのは分かったよ
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だが実際に抜けるかを試すあたり他の事を色々話してみたい相手ではアル
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武蔵も、父親である新免無二斎と同じ読みで扱われてる書物があるくらいだからなぁ。。
『無二斎はー』と書かれてるが、実は武蔵の事だったりするし。
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いや、鞘を投げ捨てた小次郎を見て武蔵が「小次郎破れたり」って言うシーンあるだろ?
つまり小次郎は普段は刀を背負って歩き、
決闘の時は抜き身でいたってことだよ。
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3尺あったのは刀の長さではなく、刃の長さだよ。
コレを上手く扱うために柄も長めに取ってあると考えれば
4尺くらいあっておかしくない。
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だよな。刃渡り1m強の刀を腰に差したままでは抜けんわ。腕の長さが足らん。
メジャー1m持ってやってみたけど、胸を張るほど腕を真横に伸ばして頑張ってなんとか抜けそうな感じ。
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>秦の始皇帝が剣を抜けなかったのは鳩胸だったからじゃなかったっけ?
ハト胸の剣豪・・
想像するだけで恐ろしいものだな。 くるっく~。
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えっ、スレ主さんって、160cmしかないの?
俺の14歳の妹は165cmあるけどね。それで、日本人がチビとか笑えるねw
ちなみに、スレ主って勘違いしてるでしょ?
約90cmが野太刀。普通の侍が腰に挿している方。
スレ主が言っているのは、大太刀のことだよね?
なら、5尺。つまり、約150cmあったと言うこと。
国によって、持つ者によって、また刀の長さが変わってくる。
2m以上の物を持っている侍もいたけど。
それを腰に挿すなんて、そりゃ無理だろ!
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関係者がすべて死んだ後に書かれた『二天記』では、「岩流」は「佐々木小次郎」という名になっており、この決闘で刃長3尺余(約1メートル)の野太刀「備前長船長光」、通称「物干し竿」を使用、武蔵は櫂を削った2尺5寸と1尺8寸の木刀2本を使い、これを破ったとある。
大太刀は、日本刀の一種。長大な打刀、および太刀のこと。
「野太刀」、「斬馬刀」とも呼ばれる。
現代の分類では刀身の長さが三尺(約90cm)以上のものを指すのが一般的で、昔の日本人の平均的な身長(150cmから165cm)と比べると非常に大きい物である事がわかる。
基本的には歩兵の武器ではなく、騎馬武者の用いるもので、馬上から馬の走る勢いで斬る武器である。
そのため、実用にあたってはあまり振り回す必要はない。しかし腕力を誇る武士が馬に乗らない白兵戦で使用する場合もあった。
大太刀と野太刀の語の使い分けには確定した説がないが、単純に長大な太刀を「大太刀」、戦場で使う事を前提とした拵えに収められているものを「野太刀」と呼んでいた、というのが現在の主説である。
一般的には大型の太刀をまとめて大太刀と呼び、別称して「野太刀」とも呼ぶことが主流である。
なお、日本の刀剣類の区分は、文献や研究者によっては5〜9種類以上の分類をする事さえある。
従って、「大太刀」という言葉が指す刀剣の定義は常に一定というわけではない。また、野太刀から中巻野太刀や長巻に発展していく。
●野太刀
・刀身長による分類の方法には、文献や研究者によって違いがあり、刀身が3尺(約90cm)以上のものを野太刀とすることがある。
●大太刀
・刀身長による分類の方法には、文献や研究者によって違いがあり、刀身が5尺(約150cm)程度のものを大太刀とすることがある。
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実在性ですらめっちゃあやしい人の武器に整合性求められても・・・
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腰に差して歩くには三尺はなげぇよ
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武蔵は180cmあったから当時としては大巨人
無双できたのも納得
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剣道有段者です。
模擬刀振った事ある?
素振り用の糞重い極太木刀は左手一本で素振りするってのがやっとだけど
金属の模擬刀は比較にならん位遥かに重くて振りにくいよ
両手で振っても素振りすらキツイ
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この記事読むまで物干し竿って、セフィロスの刀とまではいかないまでも・・・そのくらい異様に長いのかと思ってました
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佐々木小次郎、ジジィ説って、そういう説があるってだけで確定なの?
歴史なんて無限に仮説があるのに、よく盲信できるなと思うよ。
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鞘を引きずって歩くわけにもいかんでしょ
抜き辛いのもあるだろうけど
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**「鞘の端に車輪を付ければいいナリ」
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中国人詳しいなw
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いや、あれでも相当長いけどな
御馬鹿なゲームや漫画の世界じゃないんだから
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何故佐々木小次郎が実在しないことになってるのか
いや、佐々木小次郎という名前の人物がいたかどうかはともかく、巌流という号の人物は存在するだろ
便宜上、後に名づけられた佐々木小次郎としてるだけでさ
それも存在しないって主張も分からなくはないが、そんな事言いだしたらあの時代の大半の文書が信頼性皆無ってことになるわ
まあそれはともかく、確かに「腰に差すことが出来なかった」って辺りは誇張表現だろうけど
1mでも長いことは長いよ。175cmの人間が80cmの刀を扱うのでもやや長いくらいだからな
あと、戦国時代の日本人身長は言うほど低くなかったんじゃないかと言われてる
少なくとも武将は結構背が高かったみたいだな。特に九州
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※33
武蔵と巌流島で戦った剣豪はいた、だが佐々木小次郎という名は後に創作されたもの、まして現代その名前からイメージされる人物像は完全に架空、空想のもの、ゆえに佐々木小次郎という人物は存在しない、っていう話だと思う
昔は平均身長が低かったとされてるのは江戸時代を指してる場合が多いからなぁ
現代とくれべればそりゃ低かったろうけど戦国時代で武勇で逸話を残してる武将は言うほど低くなかったようだな
周りより背が高かったから結果として武勇に優れていたということかもしれないが
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『昔の日本人の平均的な身長』
とかしたり顔で言っている馬鹿な人がいっぱいいて驚いた
昔っていつだよw
時代によって食うものも違うし体格も全然違うっつーの。
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日本人の戦国期の平均身長って実際はけっこう高かったんじゃなかったっけ
江戸時代に入って肉食が廃れてから小さくなっていったって
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>>8楼さん
すげえ詳しいな、俺もたぶんその理由だと思う
あと始皇帝の話、こっちも合わせて納得がいく
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ゆえに、鞘を振り捨てるのが常であったという
武蔵「鞘を捨てるとは!小次郎敗れたり!!」
小次郎「黙れ童貞」
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武蔵と戦ったのは記録によると「佐々木巌流」という人物
勝負の後に彼を悼んだ付近の住民達から「巌流島」と呼ばれるようになった
年齢は確定しておらず、若年齢説と老人説に分かれている
ただ、弟子がそれなりに居たようなので「壮年~老人説」の方が有力視されている
人望や社会的地位、流派の少なさ(佐々木個人で立ち上げた可能性大)を考えれば
若くはないと考えるのが自然かもね
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富田勢源の弟子か、鐘捲自斎の弟子か
はっきりすれば良いだけなんだけどね~
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小次郎って武蔵よりデカかったはず
かなりの巨人だったって噂だ
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※40
どこでそんな噂を聞いたんだよw
武蔵は六尺の大男というのは有名で、巨人症の疑いもあるくらいなんだぞ
それよりデカイってどんなバケモンだよw
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伝記じゃなくて後になって脚色されて書かれた話だからな
武蔵との逸話だって実際はタイマンじゃなくて武蔵は弟子を引き連れて小次郎を袋叩きにしているし
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普通、刀で長さと言ったら切れる部分の長さのこと。全長のことではない。1mというのはこの部分のこと。
これほど長い刀には長い柄を付ける。でないと操作しにくい。ゆえに、1.5mぐらいになる。
じつはこれでも腰に挿して抜けないことはない。吉川武蔵でも、太刀造りから腰刀に作り変えようと
思う、と小次郎に言わせている。
ちなみに、日本人なら小次郎も武蔵も6尺豊かな大男だったと知っているはずだが・・・?
武蔵が六尺(180cm)、小次郎はそれより長身。 井上バガボンド武蔵でもそうなってるしw
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秀頼が197だな。前田家も基本180オーバー
江戸中期以降と違って戦国期はわりかし身長高い
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刀身が長いと重くなりすぎて/←のような角度で刀をさして居られなくなる
/←こんな角度になってしまう
柄を長くして先に錘を付けて天秤のようにバランスを取ろうとすれば重くなりすぎていろいろ不便になるしね